2018年1月20日土曜日

日本近代建築史 ー主要建築家とその代表作ー

 建築家を生年順に並べると見えてくる事もある


【1850年代生まれ 日本人建築家の誕生

◆ジョサイア・コンドル(1852-1920)イギリス出身
 日本の近代化に向け明治政府が迎えたお雇い外国人。
 日本人建築家の育成に努めた。河鍋暁斎に師事して日本画を学ぶ。
 
 旧東京帝室博物館本館、鹿鳴館、ニコライ堂(実施設計のみ)、
 三菱一号館〜三号館、旧岩崎邸庭園、現・三菱開東閣、
 岩崎弥之助家廟、現・綱町三井倶楽部、旧諸戸清六邸(六華苑)、
 旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)、旧古河庭園
 
◆曽禰達蔵(1853-1937) そねたつぞう
 コンドルに学んだ日本人建築家の第1期生。
 後輩の中條精一郎(1868-1936)と共に曽禰中條建築事務所を開設。

 三菱三号館~七号館、旧三菱銀行神戸支店、長崎造船所占勝閣
 <以下は曽禰中條建築事務所作品>
 慶應義塾大学図書館、旧日本郵船神戸支店ビル、明治屋ビル(大阪)、
 小笠原伯爵邸、明治屋ビルディング(東京)、岩崎家熱海別邸、
 三井住友銀行大阪中央支店

◆辰野金吾(1854-1919) たつのきんご
 コンドルに学んだ第1期生。後進の指導にも励んだ。東京駅に代表される
 赤レンガに白い御影石の帯は「辰野式建築」と呼ばれた。

 日本銀行本店・大阪支店・京都支店、浜寺公園駅、国技館(日大講堂)、
 日本生命九州支店、奈良ホテル、旧松本家住宅、万世橋駅舎、
 日本銀行小樽支店、中央停車場(東京駅)、武雄温泉新館・楼門、
 大阪市中央公会堂(実施設計)

◆片山東熊(1854-1917) かたやまとうくま
 コンドルに学んだ第1期生。宮内省で宮廷建築の多くに関わる。

 奈良国立博物館、京都国立博物館、東京国立博物館表慶館、仁風閣、
 赤坂離宮(迎賓館)

◆妻木頼黄(1859-1916) つまきよりなか
 コンドルに師事。数多くの官庁建築を手掛けた。
 
 日本勧業銀行本店(千葉トヨペット本社・武田五一と共作)、
 横浜正金銀行本店(神奈川県立歴史博物館・遠藤於莵と共作)、
 横浜新港埠頭倉庫(横浜赤レンガ倉庫)、日本橋、内閣文庫

1860年代生まれ 第二世代とライト一門の台頭

◆横河民輔(1864-1945) よこがわたみすけ
 日本の鉄骨建築の先駆者。横河グループを創業した実業家でもある。

 三井本館(先代)・2号館・3号館、帝国劇場、三越呉服店(三越日本橋本店)、
 交詢ビルディング、日本電報通信社(電通銀座ビル)

◆長野宇平治(1867-1937) ながのうへいじ 
 辰野金吾の弟子。数々の銀行建築を手がけ、古典主義様式を極める。
 晩年は神話の世界まで遡りプレ・ヘレニック様式を再現。

 日本銀行本店をはじめ支店多数、北海道銀行本店、旧台湾総督府庁舎、
 大倉精神文化研究所(横浜市大倉山記念館)

◆フランク・ロイド・ライト(1867-1959) アメリカ合衆国出身
 「近代建築三大巨匠」の一人。帝国ホテル建設中に途中帰国となった為、
 国内の建築は弟子の遠藤新らが引継ぎ完成させた。

 帝国ホテル、旧山邑邸、自由学園明日館

◆伊東忠太(1867-1954) いとうちゅうた
 西洋建築学を基礎に日本建築を見直し、多くの神社仏閣設計に携わる。
 Architectureを「建築」と訳し日本に定着させた建築史家。妖怪好き。

 東京大学正門、明治神宮、一橋大学兼松講堂、大倉集古館、
 旧阪急梅田駅コンコース壁画、東京都慰霊堂・復興記念館、
 靖国神社神門・遊就館、法華経寺聖教殿、築地本願寺、湯島聖堂

◆山下啓次郎(1868-1931) やましたけいじろう
 伊東忠太と同窓で五大監獄を設計。孫はジャズピアニストの山下洋輔。

 千葉監獄、長崎監獄、金沢監獄、鹿児島監獄、奈良監獄

1870年代生まれ 建築教育の系譜

◆鈴木禎次(1870-1941) すずきていじ
 作品の半数以上が名古屋にあり「名古屋をつくった建築家」と呼ばれる。
 夏目漱石の妻の妹と結婚して漱石の義弟となった。

 旧中埜家住宅、岡崎銀行本店、松坂屋大阪店、松坂屋本店新本館、
 野澤屋呉服店(横浜松坂屋)、旧名古屋銀行本店ビル(曽禰達蔵と共同設計)、
 揚輝荘伴華楼

◆桜井小太郎(1870-1953) さくらいこたろう
 日本人初の英国公認建築士。海軍技師を経て三菱地所に入社。
 丸の内ビジネス街建設に携わった。

 旧呉鎮守府官舎、旧三菱銀行本店、丸の内ビルディング旧館
 静嘉堂文庫、東洋文庫、旧横浜正金銀行門司支店(山口銀行門司支店)
 旧横浜正金銀行神戸支店(神戸市立博物館)

◆武田五一(1872-1938) たけだごいち
 欧州留学で影響を受けたアール・ヌーボー、セセッションなどの様式を
 いち早く日本に紹介した。「関西建築界の父」と言われる。
 工芸や図案、テキスタイルなどのデザイナーとしても活躍し、
 大阪市営地下鉄のシンボルマークも手掛けた。

 日本勧業銀行本店(千葉トヨペット本社・妻木頼黄と共作) 、求道会館、
 芝川又右衛門邸、山口県庁舎、名和昆虫博物館、五龍閣、
 毎日新聞社京都支局(1928ビル) 、京都電燈本社屋(関西電力京都支店)

1880年代生まれ 表現主義と初期モダニズム

◆ブルーノ・タウト(1880-1938) ドイツ出身
 表現主義建築で名を馳せる。ナチスの迫害により日本に亡命。
 日本の伝統美を見出し「桂離宮」を世界に広めたが、
 建築の仕事には恵まれず、トルコに渡った。

 旧日向別邸(地下室の内装設計)

◆ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964) アメリカ合衆国出身
 英語教師として来日後、建築事務所を開設。滋賀県近江八幡に居住し、
 教会、学校、個人宅など数多くの設計を手掛けた。
 メンソレータムを日本に広めた実業家でもある。
 
 大阪教会、浪速教会、今津教会会堂などの日本基督教団教会多数、
 明治学院チャペル、関西学院大学、神戸女学院学校、旧豊郷小学校
 などの学校建築多数、ヴォーリズ記念病院、旧八幡郵便局、
 旧百三十三銀行今津支店、大丸心斎橋店・京都店、東華菜館、
 旧居留地38番館、佐藤新興生活館(山の上ホテル)

◆佐野利器(1880-1956) さのとしかた 
 日本の構造学の発展に貢献。大震災後の都市復興、都市計画などに従事。

 復興小学校建築多数・復興記念館、神奈川県庁舎、学士会館などの構造設計

◆久野節(1882-1962) くのみさお
 鉄道省の技師・建築課長を務め、
 駅舎と百貨店が一体となった画期的な建築を設計。

 千葉県立佐倉高校記念館、南海ビルディング(高島屋大阪店・南海難波駅)、
 東武浅草駅ビル・松屋浅草店、近鉄宇治山田駅、旧蒲郡ホテル、
 じゅらくビル(京成上野駅)

◆岡田信一郎(1883-1932) おかだしんいちろう
 和洋問わず歴史的な様式を鉄筋コンクリートで建てることに定評があり
 「様式の天才」と呼ばれた。

 大阪市中央公会堂(原案) 、鳩山一郎邸、歌舞伎座(第三期)、東京府美術館、
 鎌倉国宝館、黒田記念館、東京美術学校陳列館、ニコライ堂修繕、
 博報堂旧本社ビル、明治生命館、琵琶湖ホテル

◆渡辺節(1884-1967) わたなべせつ
 近畿を中心に商業ビルの秀作を多く残した。

 旧大阪商船神戸支店、旧日本興業銀行本店 、大阪ビルヂング、綿業会館、
 岸和田市立自泉会館、旧乾邸

◆安井武雄(1884-1955) やすいたけお
 大阪を中心に活躍。真にして美なるものを追求する「自由様式」を標榜。

 大阪倶楽部、高麗橋野村ビルディング、日本橋野村ビルディング、
 大阪瓦斯ビルヂング

◆内田祥三(1885-1972) うちだよしかず
 元東京帝国大学総長。佐野利器の下で建築構造学を研究。
 日本の鉄筋コンクリート・鉄骨構造学の基礎を築く。
 「内田ゴシック」といわれるデザインパターンの建物を数多く建設。

 東京大学本郷キャンパス一連の建物、東京大学駒場キャンパス一連の建物、
 東京大学医科学研究所、浴風会本館・礼拝堂、旧公衆衛生院

◆内藤多仲(1886-1970) ないとうたちゅう
 佐野利器に師事。戦前より数々の構造設計を手掛けた「耐震構造の父」。
 戦後は電波塔・観光塔の設計を手掛け「塔博士」と呼ばれた。
 
 大阪商船神戸支店、早稲田大学大隈記念講堂、明治生命館、
 世界平和記念聖堂などの構造設計、東京電灯千住火力発電所、
 NHK愛宕山放送局鉄塔、名古屋テレビ塔、2代目通天閣、別府タワー、
 さっぽろテレビ塔、東京タワー(日本電波塔)

◆渡辺仁(1887-1973) わたなべじん
 古典主義から表現派、帝冠様式、初期モダニズムまで
 様々なデザインを自在に使いこなす。ランドマークとなった作品も多いが、
 自身の建築観は残さなかった。

 ホテルニューグランド、早稲田小学校、服部時計店(銀座和光)、
 日本劇場、旧日向別邸、東京国立博物館(コンペ当選案)、愛知県庁本庁舎、
 第一生命館、原邦造邸(原美術館)

◆ル・コルビュジエ(1887-1965) スイス出身
 言わずと知れた「近代建築の三大巨匠」の一人。近代建築の五原則を提唱。

 国立西洋美術館
 (コルビュジエの弟子、前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が実施設計)

◆アントニン・レーモンド(1888-1976) チェコ出身
 フランク・ロイド・ライトと共に来日し、国内に事務所を開設。
 戦前戦後を通して日本人建築家に大きな影響を与えた。

 霊南坂の自邸、旧星商業学校、エリスマン邸、教文館ビル、
 東京女子大学礼拝堂・講堂、不二家伊勢佐木町店(横浜センター店)、
 群馬音楽センター、旧イタリア大使館日光別邸、
 南山大学総合計画・神言神学院

◆遠藤新(1889-1951) えんどうあらた
 フランク・ロイド・ライトに師事し、その設計思想を受け継ぐ。
 師匠のライトにMy Sonと言わしめる程、信頼を寄せられていた。

 自由学園明日館、旧山邑邸、自由学園目白講堂、加地利夫別邸、
 自由学園南沢キャンパス、甲子園ホテル、笹屋ホテル、目白ヶ丘教会

1890年代生まれ バウハウス派とコルビュジエ派

◆村野藤吾(1891-1984)むらのとうご
 戦前戦後を通して長きに渡り活躍し、数多くの作品を残した。
 渡辺節の下で学びダイビル本館、綿業会館等の設計にも関わる。

 日本基督教団南大阪教会塔屋、そごう大阪店、渡辺翁記念会館、
 橿原神宮駅舎、志摩観光ホテル、高島屋東京店増築、世界平和記念聖堂、
 心斎橋プランタン、読売会館、東京丸物、新歌舞伎座、横浜市庁舎、
 泉州銀行本店、日生劇場、梅田換気塔、甲南女子大学、
 目黒区総合庁舎(旧千代田生命保険本社)、迎賓館赤坂離宮本館改修

◆高橋貞太郎(1892-1970) たかはしていたろう
 豪奢な邸宅やホテル建築などの設計が多数。
 聖徳記念絵画館の実施設計にも携わる。

 学士会館(佐野利器と共作)、前田侯爵邸洋館、
 日本生命館(高島屋日本橋店)、上高地ホテル、川奈ホテル、
 松島ニューパークホテル、帝国ホテル新本館

◆吉田五十八(1894-1956)よしだいそや
 日本の伝統的建築を独自に解釈し、近代数寄屋建築を確立した。

 歌舞伎座復興改築(第四期)、日本芸術院会館、五島美術館、大和文華館、
 吉田茂邸、ローマ日本文化会館、成田山新勝寺本堂、中宮寺本堂、
 梅原竜三郎邸、旧猪俣邸

◆吉田鉄郎(1894-1956) よしだてつろう
 逓信建築の先駆者のひとり。
 東京中央郵便局はブルーノ・タウトにモダニズム建築の傑作と讃えられた。
 ドアノブに触れないほどの潔癖性で、常に消毒液を持ち歩いていたという。

 検見川無線送信所、別府市公会堂、東京中央郵便局旧局舎、
 旧京都中央電話局下分局、大阪中央郵便局旧局舎

◆山田守(1894-1966) やまだまもる
 逓信建築の先駆者のひとりであり、分離派建築会のメンバー。
 震災復興橋梁のデザインも手掛けた。
 滑らかな曲面へのこだわりに表現主義の影響が見られる。
 
 東京中央電話局、旧門司郵便局電話課、永代橋、聖橋、
 千住郵便局電話事務室、萬代橋、東京逓信病院、東海大学代々木校舎、
 長沢浄水場、山田守自邸、東海大学湘南キャンパス、日本武道館、
 京都タワービル

◆石本喜久治(1894-1963) いしもときくじ
 山田守らと分離派建築会を結成。竹中工務店に勤務の後、独立。

 山口銀行東京支店、朝日新聞社東京本社、白木屋百貨店本店、
 銀座パレス、広島市民球場

◆今井兼次(1895-1987) いまいけんじ
 早大教授として後進の育成に努め、アントニ・ガウディを日本に紹介。
 モダニズム建築からは距離を置き、職人の手の技を残す建築作品を造った。

 早稲田大学図書館、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館、内藤多仲邸、
 響橋、碌山美術館、大多喜町役場、日本二十六聖人殉教記念館・記念聖堂、
 桃華楽堂(皇居東御苑)

◆清水栄二(1895-1964) しみずえいじ
 神戸市内に作品を多く残す。表現主義を始めアール・デコ、
 インターナショナル・スタイル、構成主義など多彩な様式を折衷し、
 阪神間モダニズムに彩りを添えた。

 帝国信栄ビル、西尻池公会堂(鷲尾外科) 、
 神戸市立生糸検査所(神戸農林水産消費技術センター旧館) 、
 高嶋平介邸 (甲南漬資料館) 、神戸市立御影公会堂

【1900年代生まれ レーモンドの蒔いた種

◆坂倉準三(1901-1969) さかくらじゅんぞう
 ル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践。
 都市のターミナル開発から家具のデザインに至るまで幅広い活躍をした。
 孫にヒップホップMCのSPHEREがいる。

 パリ万博日本館、神奈川県立近代美術館、東京日仏学院、岡本太郎邸、
 東急百貨店東横店西館、国際文化会館(前川國男・吉村順三と共同設計)、
 東急文化会館、新宿駅西口広場、小田急電鉄新宿駅西口本屋ビル、
 日本万国博覧会電力館

◆山口文象(1902-1978) やまぐちぶんぞう
 分離派建築会の一員で石本喜久治の設計(朝日新聞社、白木屋)に協力。
 モダニズム基調の土木デザインから和風建築の個人宅まで幅広い活躍をし、
 震災復興の橋梁デザインにも関わった。

 清洲橋、数寄屋橋、浜離宮南門橋、日本歯科医学専門学校付属病院、
 黒部川第二発電所、林芙美子邸、新制作座文化センター、町田市立博物館

◆谷口吉郎(1904-1979) たにぐちよしろう
 日本の伝統を近代建築の造形に生かした端正な作風で知られる。
 文化財保存の為、博物館明治村の設立に尽力し初代館長となる。
 息子の谷口吉生も建築家として名高い。

 藤村記念堂、秩父セメント第2工場、東宮御所、
 ホテルオークラ東京本館メインロビー、出光美術館、
 名鉄バスターミナルビル、東京国立博物館東洋館、東京国立近代美術館

◆白井晟一(1905-1983) しらいせいいち
 モダニズム建築全般の風潮に相反し、
 哲学的と称される精神性の高い重厚な建築を生み出した。

 旧松井田町役場、善照寺本堂、親和銀行東京支店、親和銀行大波止支店、
 親和銀行本店・懐霄館、ノアビル、渋谷区立松濤美術館、芹沢銈介美術館

◆前川國男(1905-1986) まえかわくにお
 ル・コルビュジエ、アントニン・レーモンドに師事し、
 戦後の日本建築界をリードした。戦時下に手掛けた自邸は
 木造モダニズム建築の傑作として知られる。

 前川國男自邸、神奈川県立図書館・音楽堂、国際文化会館(共同設計)
 晴海高層アパート、世田谷区民会館・区役所、京都会館、東京文化会館、
 神奈川県立青少年センター、東京文化会館、紀伊國屋書店新宿店、
 日本万国博覧会鉄鋼館、東京都美術館

◆吉村順三(1908-1997) よしむらじゅんぞう
 アントニン・レーモンドに師事。日本の伝統とモダニズムの融合を図った。

 国際文化会館(共同設計)、軽井沢の山荘(吉村山荘)、皇居新宮殿基本設計、
 奈良国立博物館新館、八ケ岳高原音楽堂

【1910年代生まれ 戦後のモダニズム建築】

◆丹下健三(1913-2005) たんげけんぞう
 戦後日本建築界の重鎮。言わずと知れた「世界のタンゲ」。
 
 広島平和会館原爆記念陳列館、広島平和記念公園、旧東京都庁舎、
 香川県庁舎・県立体育館、東京カテドラル聖マリア大聖堂、
 国立代々木競技場第一・第二体育館、山梨文化会館、
 静岡新聞・静岡放送東京支社ビル、電通旧本社ビル、
 日本万国博覧会会場計画、横浜美術館、新東京都庁舎

◆吉阪隆正(1917-1980) よしざかたかまさ
 ル・コルビュジエに師事。既成に捕われない大胆な造形が特色。
 教育者としても多くの人材を育てた。登山家・探検家でもある。

 日仏会館、江津市庁舎、アテネフランセ、大学セミナー・ハウス

◆芦原義信(1918-2003) あしはらよしのぶ
 空間構成を生かした明快かつ堅実な作品で高い評価を得る。
 都市景観の重要性を説いた。母方の叔父に画家の藤田嗣治がいる。

 日光ユースホステル、オリンピック駒沢体育館・管制塔、
 秀和青山レジデンス、ソニービル、モントリオール万国博覧会日本館、
 日本万国博覧会イタリア館・オーストラリア館・ニュージーランド館、
 国立歴史民俗博物館、東京芸術劇場

◆清家清(1918-2005) せいけきよし
 日本の風土や生活に適した住まいを標榜。
 西欧近代建築の構造と日本の伝統的素材を融合させた住宅で評価を得る。

 森博士の家、私の家、九州工業大学記念講堂、小原流家元会館、
 東京オリンピック選手村メインゲート、日本万国博覧会国連館・
 スイス館・アメリカ館ディスプレイ・虹の塔、軽井沢プリンスホテル新館

【1920年代生まれ 高度成長期とメタボリズム運動】

◆大高正人(1923-2010) おおたかまさと
 都市の新陳代謝に合わせて建築や都市空間を可変させて行く
 建築運動「メタボリズム」グループのリーダー的存在。

 坂出人工土地、千葉県立中央図書館、
 広島基町再開発(市営基町高層アパート・県営長寿園アパート)、
 日本万国博覧会ゲート、多摩ニュータウン・マスタープラン、
 みなとみらい基本計画、神奈川県立近代美術館別館

◆菊竹清訓(1928-2011) きくたけきよのり
 メタボリズムの体現者。狂気を秘めた独自のデザインが異彩を放つ。

 スカイハウス(菊竹清訓自邸)、出雲大社庁の舎、東光園、都城市民会館、
 パシフィックホテル茅ヶ崎、エキスポタワー、アクアポリス、
 銀座テアトルビル、江戸東京博物館、ホテル・ソフィテル東京、昭和館

◆槇文彦(1928-) まきふみひこ
 純粋モダニズム建築を多く手がける。
 成長する都市計画「ヒルサイドテラス」でメタボリズムの思想を体現した。
 
 ヒルサイドテラス、青山スパイラル、幕張メッセ、東京体育館、
 風の丘葬斎場、テレビ朝日本社ビル
 
◆林昌二(1928-2011) はやししょうじ
 清家清に師事。日建設計でチーフアーキテクトとして活躍。
 著書『建築家 林昌二毒本』は日本建築界に一石を投じた。

 三愛ドリームセンター、パレスサイドビルディング、ポーラ五反田ビル、
 中野サンプラザ、掛川市庁舎

【1930年代生まれ メタボリズムからポストモダンへ】

◆磯崎新(1931-) いそざきあらた
 ポストモダン建築を牽引したひとり。丹下健三研究室で
 東京計画1960に加わり、前衛芸術集団「ネオ・ダダ」とも交流する。

 新宿ホワイトハウス、岩田学園、大分県立大分図書館、
 日本万国博覧会お祭り広場諸装置、群馬県立近代美術館、
 北九州市立美術館、北九州市立中央図書館、つくばセンタービル、
 ロサンゼルス現代美術館、水戸芸術館

◆黒川紀章(1934-2007) くろかわきしょう
 メタボリズムグループの一員で国際的に活躍をする。
 都市計画にも意欲的に取り組んだ。晩年は都知事選に立候補。

 寒河江市役所庁舎、日本万国博覧会東芝IHI館、中銀カプセルタワービル、
 青山ベルコモンズ、国立民族学博物館、国立文楽劇場、国立新美術館

 <随時更新>

0 件のコメント:

コメントを投稿